WHY?CORVETTE
なぜコルベットなのか?改めて考えてみた。
1.スーパーカーブーム
小学校の時のスーパーカーブームの頃、カメラを片手にあちこちのスーパーカーショーに行き、なんでもかんでも写真を撮っていた。ショーだけでなく、「何丁目の角の家にはデトマソパンテーラがあるらしい」
などといった情報を頼りに友達と見ず知らずのお宅にお邪魔し、ガレージの車を撮らせてもらったものだ。
当時の人気車と言えばランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェ、ロータス、ランチアなどでコルベットは確かそんなに人気は無かったはずである。それと言うのも1970年後半から80年代前半のコルベットの
スペックはカウンタックや512BBに遠く及ばなかったからである。カウンタックやフェラーリのカタログデータではそれぞれ最高速度が300Km、302Kmとなっており、子供たちは「512BBのほうが
2Km速いんだ〜」と信じていた。実際には両者ともそんなに速くないことは矢田部テストコースでも実測されており、記事を読んで子供心にがっかりさせられたこともあった。それでも「そんなことない、カウン
タックは300Kmでるんだ!」と信じて疑わず、多くの少年がそうだった様に僕の中のスーパーカーとはランボルギーニカウンタックであった。
(ミウラのレーシングバージョン、謎の車イオタも好きだったが)
2.アメ車
時は過ぎ、大学生の頃に映画「チンピラ」に出会った。本当はもう数年前の映画だったが、テレビで見たんだと思う。ビデオに撮って繰り返し繰り返し何度も見た。その1シーンで、ヤクザに成り切れないチンピラ
柴田恭平とジョニー大倉が、兄貴分ヤクザのカマロベルリネッタで渋谷を流していて、信号待ちでパトカー
と並ぶ。胡散臭そうにカマロの2人を見るおまわりさんを尻目に、信号が青になると同時にタイヤを軋ませ、バタバタバタっ!!という強烈なV8サウンドを残して猛ダッシュしていく後姿にシビれた。「アメ車ってカッコイイな」とその時初めて思った。でもその気持ちは今のと違い、アメ車の持つワルっぽいイメージに
引かれていたような気がする。
3.初めての車購入
社会人になってからは実家からの通勤だったので、用事があれば実家の国産車を使っていた。時々家の都合で使えないことがあり、不便だったのでマイカーを買うことにした。早速当時僕が一番懇意にしていた友人
Kに相談したが、「イメージに合った車は何か?」という点で非常に迷った。スポーティーなものが良いと言う漠然とした思いはあったものの、いざどれが良いかとなると「180?そりゃ違うだろ。Zでもないしなー。」と言った感じでなかなかしっくり来ない。仲間内での自分のイメージを考えると地味とは言いがたかったし、「何かきっと驚くような車を買うに違いない」という期待のされ方もしていたので、雑誌を見ながらアメ車にしようかなーと本格的に考えた。
そうはいっても故障は怖い。今一フンギリが付かないでいたのだが、ふとナイスなアイディアが沸いた。壊れないアメ車といえばフォードプローブ!!
(そのこころはマツダのカペラとベースが一緒だから。ホントに壊れないかどうかは知らない)
早速KにTELしてその旨伝 えたところ、彼は
「プローブー!?ありャカペラじゃねーか!そんなもん買うんだったら国産にしろ!!」
(あんまりなお言葉・・・プローブオーナーの皆さんごめんなさい、僕が言ったんじゃないです)
確かにアメ車にワイルドなところを求めながら、壊れるのが怖いような小心者にはアメ車に乗る資格はない。そこで意を決してFボディのカマロを探すことにした。ところがいざ決心してみると、今と違って予算に合うようなものが全然無く、玉数も少なかったのである。
途方に暮れていたところ、ある車屋でファイアーバードトランザムを見つけた。
どーして今まで気づかなかったのだろう?トランザムといえばカマロとシャーシが同
じ、かつ本国での位置付けはカマロのお兄さんではないか!早速KにTEL(すぐ人の意見にすがる)して
「カマロないんだけど、赤いトランザムどう?」「そりゃお前、ト、トランザムだろう!!」というわけで
これまでに無いKの大賛成にあい、決心は揺るぎ無いものとなって購入に踏み切った。その後は・・・
@しょっちゅうオーバーヒート
A夏でもクーラー熱風(冬はエアコン無しでも快適)
Bサビサビが表面まで来てオールペン
C走行中フューエルポンプ破損、緊急停車
Dオイル漏れ漏れ
E突然エンジンがかからなくなる
Fバックミラー垂れ下がり
などなどトラブルは絶えなかったけれど、押しの強さといい、音の派手さといい、中々楽しいアメ車ライフを満喫させていただいた。
しかし、この車のおかげでお婆ちゃんの死に目にも会えずバチあたりなので2年で売っぱらった。
4.コルベットへの道
つぎの車はどうしたものかと色々考えた。トランザムで痛い目に遭っているのでアメ車も考え物。国産車の候補としては、Z、7、スープラ、GTOといったスポーツカーを考えてたが、やはり一度アメ車に乗ったものとしてコルベットの存在は無視出来ない。しかし性能的には国産スーパースポーツはコルベットより上
だったりする・・・
この時は転勤で神奈川に居たのでKには相談できず、となりのデスクの後輩Tの意見を聞いてみた。
するとTは「いやー、自分の身近にコルベットに乗ってる人が居るのっていいっすねー」
とあくまでも無責任な意見であったが、本当はそういって欲しかっただけで、もともと気持ち的にはいつかはコルベット!と思っていたのである。なぜならばトランザムに乗っていたときカマロとすれ違う時は仲間意識みたいなものを感じるのだけど、コルベットとすれ違う時だけはどうしても、
「ははーっ!キング・オブ・アメリカン様!」と道路にひざまずいてしまいそうになるからだ。
そういう意識はアメ車の世界に入って から自然と身についたもので、コルベットオーナーは皆、そう(コルベットはアメ車の中でも特別な存在だと)思っていると思う。
そんなわけで小学校3年生の時に近所の外車ディーラーにC3の写真を撮りに行って以来、18年を経て87C4のオーナーとなったのである。色は再び赤であったが、トランザムと違って不良っぽい暴走車的なイメージで無く、スマートなスポーツカーという印象が強かった様に思う。ただしスポーツカーという点で言えば、L98エンジンはGTRなどの国産一級のターボ車には全くかなわなかった。
それでも周囲の注目を集める車であることは間違い無く、何処に行っても人の目を集めるが、本牧のムーンカフェや米軍基地などのアメリカンな風景に、自然と溶け込む違和感の無さがコルベットのコルベットたる所以であろう。
5.トラブルについて
日頃のメンテナンスの良し悪しで、トラブル発生の頻度に大きな差がでてくることは間違いないが、僕の場合、日常的メンテナンスの知識が無かったため、壊れた都度そこを交換するというパターンであった。約4年間の主なトラブルとしては、乗り始めて2年目ぐらいにフューエルポンプ破損(ガソリンをギリギリまで給油しないのでそういうことになる)。以後オルタネーター不調により、バッテリーとともに交換。電動アンテナを折ってしまい交換。ワイパーが動かなくなりモーター交換。フューエルユニット不良によりコンピュータとともに交換。右ヘッドライトが開かなくなりモーター交換。マフラーがボロボロになりKBDに交換。エアフロセンサー異常によりエンジン不動となり引取って直してもらうも、直後に同様の症状に陥り再度入院、帰らぬ車となった・・・。最後の方はこちらを直すとあちらが壊れという感じで、も〜うイヤだとなってしまったのだが、日頃からもっと大事にしてあげれば良かったと大変反省している。
6.やっぱりコルベット!
不本意ながら手放した87C4であったが、あまりの悲しさに仕事が手につかない。アメ車雑誌を読んでは溜息を繰り返すという、まるで恋人と死に別れたかのような辛い毎日である。
傷ついた心を癒すには一体 どうしたら良いのだろうか?答えは簡単、新しい恋人を見つけるのが一番だ!と言うわけで早速新しい車探しである。
「4人乗れるようにスープラにでもしようか、一皮剥けたキャディラックも良いかな。」しかし中々決断できない。別れた恋人がどうしても忘れられないのである。そう、コルベット無しではもう生きていけないカラダになってしまっていたのである。恐るべしコルベット!あんなに苦労をさせられて、イヤな思い出も数知れずだというのに、それ以上に僕のハートを虜にしてしまっていたのだ。
31歳(1999年当時)という自分の年令と、銀行員に対する昨今の世間様の目を考え、派手な色は避けたいと思っていたところ、ちょうど白の在庫あり
との事。早速見積もりを依頼し、度々の交渉の結果実車を見に行ったところ、傷一つ無い程度の良い純白の93C4が鎮座していた。一目で気に入り契約、今年4月めでたく納車された。乗り始めて4ヶ月、L98とは一味違うLT−1エンジンで全開加速を楽しんでいる。
今後も少しずつ自分の好きな様に手を加え、大事に乗っていきたいと考えている。
結論としてコルベットオーナーは、前提としてアメリカの国民性が好きで
「特別な存在であるコルベットという車に乗る、ちょっと特別な自分が好きなのである。」
実際コルベットオーナーはポリシーがはっきりしていてコルベットばかり乗り継ぐ人が多く、C4だけで3台も乗り継いだ人や、最新のC5オーナーが今度は30年も昔のアイアンバンパー(C3)を求めていたりする・・・。このことは世間一般の偏見である外車=メルセデス=経済的に成功している人=見栄っ張り、という図式と明らかに違う。
コルベットの故郷、ケンタッキー州ボーリンググリーンにはなんと「国立コルベット美術館(national corvette museum)」まであるのだ。他の車には無い何かがコルベットにあるからだろう。
小学校時代にスーパーカーを追いかけていた少年は大人になり、ふとしたきっかけでアメ車に惹かれ、
コルベットの魅力に取りつかれた。30歳を過ぎた今でもコルベットを愛し、ともに人生を送りたいと思っている。
もし次の車に乗りかえることがあっても、絶対にコルベットに乗り続けたい。
↓
<追記:2003/11/30>
「CORVETTE・・・・・by CHEVROLET・・・・・」
このサイトを立ち上げたきっかけとなった93C4と出会ってから4年半、三度目の車検が近づいていた。
考えれば1993年式は製造から丁度10年が経過しており、C6のスクープ写真が出回る昨今においては、
そろそろ旧車と呼ばれてもいい頃だ。
C4に特段の不満があったわけではなく、むしろ10年を経過したとは思えないコンディションを維持していたが、
この先長く乗るにはそれなりの覚悟が必要な年代にもなってきた。C4にもうしばらく乗り続け、乗り潰した頃なら
C6に手が届くかも知れないとも考えたが、いつのことやら判らない。大事にしてきたC4を手放すのも忍びない。
正直かなり迷った。
もともとC5のフロントフェイスは好きではなかったが、不思議なものでインターネットでいろいろ物色しているうちに、
分厚いリアビューやハイテク機能に惹かれ、「やっぱり今乗り換えるとしたら、C5しかないな」と思うようになった。
そうしている内に縁あって今のクルマを見つけ、試乗させて貰ったところ、C4とは別次元のC5の良さが判り、
一晩考えてから、翌日先方に購入意思を伝えたのだった。そして納車の日には職場に無理を言ってしばらく振りの休暇をとった。
最初の87から10年、3代(台)目のコルベットに乗り換えることになったが、イグニッションキーを捻るたびに
インフォメーションセンターに流れる、
の文字を見ると、やっぱりコルベットってイイよなぁ、と思う。
(2002/2/10〜)